2019.11.15 17:53
2019.11.15 17:53
ある本で、次のような問いかけに出会った。
「ある経験に対して、それがどれくらい好ましいかまたは嫌だという評価を、人はどうくだすのか?」
その本によると、その経験の中での、評価の最大値(ピーク)と、経験の最後にくだした評価値(エンド)の平均が、その経験全体の評価になるという。これを「ピーク・エンドの法則」と名付けている。
これは好ましい経験のときも、そうでない経験のときもかわらない。ここでは好評価などの持続時間は考慮されない、というところがポイントである。
被験者に数分の間をあけて次の二つの経験をしてもらう。
A. 10レベルの苦痛が60秒間続く経験。
B. 10レベルの苦痛が60秒間後き、そのまま9レベルの苦痛が30秒間(合計90秒間)続く経験。
二つの経験後、はじめとあとの経験のどちらかをもう一度行うがどちらを選ぶか、と問う。
すると、 AとBの順序を入れ替えて多くの被験者に行うと、80%の人はBを選んだという。
客観的に考えれば、BにはAの苦痛全部に加えて余計な30秒の苦痛が加わっているのだから、苦痛がより少ないAが選ばれるはずである。
これを説明するのに、「経験する自己」と「記憶する自己」という二つの自己、というモデルが語られている。
経験する自己は、経験のあいだ中その経験の評価をおこなっている。経験の最中に、被験者にその評価を聞いたら、こちらの自己が答える。しかし、経験し終わって総合評価を聞かれると、記憶する自己が答えるという具合である。私たちの「公式」の経験の評価は、つねに記憶する自己の見解ということである。しかし、もちろん経験する自己だって自分の内であるのに。
それにそもそも、身体の受けるダメージという観点から言えば「記憶する自己」の判断は、まちがえている。
「経験」のデザインに、ひきつけて考えてみよう。
私たちデザイナーは、経験する自己と記憶する自己のどちらのスタンスに立つべきなのだろうか?
少しの間、考えてみて欲しい。
結論的には、まず私は「記憶する自己」の立場で考えてデザインしなければならない、と思う。それがデザイナーの当面のミッションである。
ただデザイナーとしてはまた、この事情そのものは押さえておくべきことだと思う。
この「経験する自己」の見解は、いつかどこかで顔を出すような予感がするから。
またこの事実は、人というものが単純なものでも合理的なものでもない、ということを示しているから。
191115
「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン
経済学者ダニエル・カーネマンの本で、一時ベストセラーになった。
この本はデザイナーとして読んでおくべき本の一冊だと思う。