2020.3.2 1:12
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私たちの日々のデザインのおもな成果物は、情報の視覚的な検討結果としての画面デザインと、稼動実体であるプログラミングとからなっている。その他にもコンセプト・ドキュメントやデザインルールブックなどある。
デザインは、見た目によく映るように、ある対象物の「色や形」を決めること、とも言える。
「見た目」だけじゃない、という指摘も大切だと思うけれど。
「見た目」をもう少し拡げて言うと、デザインが扱うのは、対象の五感に訴える部分、といえると思う。現実的には、視覚(まさに見た目)、触覚、聴覚くらいまでで、嗅覚や味覚はまだデザインの対象にはなっていない。が、たぶんそれは技術的な理由からだろう。
視覚的側面に限定しても、デザインがやるべきことはたくさんある。その中には「美しさ」もあるし「わかりやすさ」や「楽しさ」もある。おそらくポジティブな形容詞の数だけ、デザインの切り口はあるのだと思う。
洒落て「デザインとは新しい形容詞の組み合わせの発見である」といってみてもいい。
五感レベルから、少しメタレベルに視点を移す。
たとえば、対象物の「アイデンティティ」をデザインするという視点があり、すでに一つの大きなデザイン分野になっている。主な対象は、会社、ブランド、製品などだが、自治体や何かの活動など対象に含むことができる。またその外のデザインの中に必ず含まれている要素、という見方も可能だろう。
ここでは「振る舞い(behavior)」という視点を考えてみたい。とくにICT製品やシステムでは、それがデザイン上の大きな着眼であると思う。
それ以前のデザインは、視覚にせよ触覚にせよどちらかというと「静止した状態」のデザインであったのに対して、ICTは「動的」な実体である。「反応体(reactant)」といってもいい。何かの刺激に対してそのもの特有の反応を返す、という意味で、生物のよう、あるいは、生きているもの、ともいえる。そしてこれら個々の反応体を特色づけているものが、そのものの「振る舞い」である、と考えられる。
犬は犬の振る舞いをするし、猫は猫の振る舞いをする。そしてイルカはイルカのように振る舞う。
振る舞いは私たちの認識に大きく働きかける。
あるものの色や形といった「形態」もさることながら、それがどう「振る舞う」のかを、私たちはよく観察している(そのこと自体には無頓着かもしれないが)。そして「振る舞い」からそのものの「性質/性格」を認識する。
私たちは形態と振る舞いの両面から、認識上の「種類分け」をおこなっている。
顔が犬に似ている人もいれば、振る舞いが 犬に似ている人もいる、というわけだ。
私たちは、自分たちの活動を「インタラクション・デザイン」と呼んでいるが、それは私たち「人」と振る舞いを持つ「反応体」の「相互作用(インタラクション)」をデザインしたいからである。
プログラミングが活動の半分を占めるのは、プログラミングがICTの「振る舞い」を規定しているからである。現在は振る舞いを規定するには、それしか方法がない。振る舞いにかんする仕様書を書いて、プログラムの専門家と分業する方法もあるが、振る舞いは仕様書だけでは完全に表現できない。またプログラミングをしながらデザイナーは振る舞いを検討しデザインしている。つまり、プログラミングはアイデアスケッチのような役割も担っている。
振る舞いの実現の「効率」を考えると分業した方がいいのかもしれないが、振る舞いの「質」を担保しようとすると分業できない部分がある。そして「質」こそデザインがこだわらなければならない点であると私たちは考えている。