本物
2020.7.8 21:58
2020.7.8 21:58
7月7日は、ナンシー関の誕生日だったそうだ。知己のある人何人かが思い出を書いていた。自分はファンというほどのめり込んだわけではないけど、彼女の動きには注目していたし、作品集など何冊か持っていたはず。目が離せなかった感じ。
自分は芸能関係にとくに興味はないけど、彼女の人間観察の鋭さ(いや「鋭さ」なんてもんじゃない、その形容詞こそもっとも彼女に似合わないほどに、鋭い)には、感服(いや「感服」なんてもんじゃなく…)していた。
自分は自分なりに、人間観察(いや人間観察なんてもんじゃ…)をする方だと思っているし、自分なりに鋭いと自惚れていたりする。そういう意味では自分が思うよりも芸能人(テレビに出る人)には興味があるのかもしれない。パターン認識の対象サンプルみたいな感覚といえばいいか。たんに、芸能関係という社会や職業に興味がない(というか逆恨み?逆憎み?している?)のに対して。
それで、その自分の感覚の1000倍くらい先に、ナンシー関がいた。
それで、彼女のような存在をどう言えばいいのかなと考えていて、「本物」だな、と思ったのであった。とにかくナンシー関は本物だ。
何についての本物かはよくわからない。「本物の人間観察者」というのもなんだかちがう。
とにかく、ほとんどの形容詞を超えた存在というか、どんな形容詞をもってしてもその容れ物に入りきらない、そんな人には、最終的なものとして「本物」という称号を贈りたい。
つまり、大切なものとは、つねに形容を超えたところにある、ということ。
本物は、比較を拒絶する。
自分も本物になりたいなぁ(いや、…)。
比べられるのは嫌いだ。