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感覚と思考:意識

2023.1.19 18:33

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「意識」とは何か、というのはあまりに大きな問題ではあるが、〈思考〉と〈感覚〉という、二つの心の働きによせて〈意識〉のことを考えてみたい。

意識とは?

意識とはなんであるか、素人なりにいろいろな書物を読んではみたが、釈然とはしない。身体のなかのおもに「脳」という器官に関係するが、何か脳のなかの物理的な実体ではなく、脳の「はたらき」の一部を指しているのだろう。 養老孟司が「心とは脳のはたらきである」という意味のことを書いていたが、意識はそういう心のさらに一部と思われる。

二つの主題

このような根元的な設問は、そもそも「何を問うているのか」がわからないという問題がある。たとえば「意識とは何か」と問われても、その意識ってどれのこと? という感じ。 よく考えると、この説文には、二つの「意識」がからんでいると思われる。

設問文が問うている問いとしての「意識Q」と、文が求めている答えとしての「意識A」である。設問は最終的に「意識A」を問うているのだが、そのまえに問われている「意識Q」があるということ。つまり主題には二つのレベルがある。 そしてこの場合、そもそも「意識Q」が何を指しているのか、それが判然としないというケース。

じつは「○○とは何か」という問いには必ず生じる問題なのだが、普通はQの方は自明ということで問題にされない。

たとえば「鉛筆とは何か?」というとき、鉛筆Qは、目の前にある木材と鉛の混合物とでできたものを書く道具のことであり、みんな知っているし認識もほぼぶれないので、安心して鉛筆Aを議論できる。

ここでは、意識Qのことを話題にしようと思う。それを〈意識〉と書くことにする。

〈感覚〉と〈思考〉のちがい

〈思考〉と〈感覚〉については前に触れたとおりだが、いちばん大きなちがいは、〈思考〉は自分が自身で「たどる」ものだが、〈感覚〉は何か自分であって自分でないところから「やってくる」ものと思うのだが、どうだろうか。

そして、このときの**「自分」という、(ある種の)「領域」を、〈意識〉(意識Q)としよう**、ということ。

じゃあその「自分」って何?

とりあえず「自分Q」とは、この文章を今キーボードで書いている人間、昨日カレーライスを食べ、先週は家の掃除をしていた、去年はこうであって、子供のころこんな体験をした者、自分とは「その者」だ。これらはすべて経験の記憶としてに残っている。そしてそれぞれのときに、〈自分〉はいろいろなことを〈思考〉し、〈感覚〉のあげてくる「感じ」を聞いていた。 つまり、〈自分〉とは「自分」の〈意識〉のことである。これでは自己参照になってしまうのだが、Qレベルでは許容されてもいいだろうと(勝手に)思っている。

「○○Q」は〈○○〉

このような「○○Q」の規定のしかたは、いわば「決めごと」、あるいは定義である。 このように定義してみると、何が言えるか、全体としてどういう体系的なモデルが描けるか、ということのために、そうしている。 これは数学的なアプローチといえるかもしれない。 こういった前提となる決めごとに対して、山括弧〈○○〉という表記を、自分流でしている。

そこで、自分の「意識A」を開陳できればいいのだが、それは「考え中」だ。申し訳ない。これは「意識A」を問うためのスタートラインの提示だ。 そういうこと。

問いと答え

まえに、問いと答えについて、デザインについてとくに「答えが問いを形容する」面があると書いたが、答えが問いを説明するという関係は一般にもあるのだろう。常識的な感覚では、問いを「説明」したのが答えという関係と思われるが、ここでのような設問に対しては、答えることによってはじめて問いの意味(意義?)がわかる、ということは大いにありうる話しだと思う。


意識について一冊の本がある。
その結論があまりにぶっ飛んでいるので、見方によっては「とんでも本」に分類されそうなくらいだ。 しかし、自分としては無人島に持って行きたい本の候補 No.1 である。
意識は、あるときに生まれたのだという。それはそうだ、はじめから動物に意識があったわけではない。ジェインズは、その時期を3000年前と正確にくぎる。はじめの文明が6000年くらい前にできたのだから、話しはそれ以降であり、もうかなり最近といってもいい。
その発祥は「神の代役」としてであった、という。人にとっての神の役割は、世界が何であるのかを説明し、自らの進むべき道を示す羅針盤のようなものだが、その神の役割を意識が代行した。その台頭以降、神々は沈黙し、人には神の声が聞こえなくなった。
意識は実際的には、文字という技術的な発明によって生まれた。
それが3000年の根拠である。

「神々の沈黙」ーー 意識の誕生と文明の興亡(ジュリアン・ジェインズ)
松岡正剛 書評: https://1000ya.isis.ne.jp/1290.html
内田樹 書評: http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1943.html

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