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プラグマティズムとデザイン

2023.3.5 18:56

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プラグマティズムという思想とデザインの関係について考えた。

プラグマティズム

プラグマティズムは、一般的な会話の中でもおもに「プラグマティック」という形容詞の形で使われることがある。
この思想が日本に入ってきたときには「実用主義」などと訳された。その和名はあまり根付かなかったが、実際「プラグマティック」は「実用的」といった意味で使われる。ニュアンスとしては、中立からやや揶揄するようなネガティブな含みであって、誇らしく「自分はプグマティストだ」とは使われない。
ドライに割り切って、名誉や名前よりも実利益的で結果がすべて、的なひびきがある。なんだか暖かい「人間味」が感じられない。

しかし、プラグマティズムは19世紀後半に生まれ20世紀のアメリカを体現する思考のスタンスであり、21世紀の今そして今後も「生きていく」重要な「哲学思想」である。
とくに〈デザイン〉とも関連が深いと自分は感じる。ここではポジティブな意味合いでプラグマティズムと〈デザイン〉の関係を見ていく。
パースやジェイムズらの古典的なプラグマティズムから、クワインらのネオ・プラクマティズムを経て、現代もさらに新たな潮流が起きているが、ここでは全体として大きなくくりでプラグマティズムを捉える。

自分の捉えたプラグマティズムはこうだ。

ある考えがあったとき、その「意義」を、その考えがどんな行為を生むかによって決める。

このことばを分解する。

「ある考え」

まずここでは、「ある」考えであって、その考えの中身を問うていない。
どんな考えであれ、何か有益な行為を生じないのであれば、その考えには意義がない、と言っているだけである。ということで、考え方のカタチ、問答の枠組み、を提示しているのである。
そういうと逆に、ではプラグマティズムは問いの型を問うだけでその中身の「具体的な」主張はないのか、というツッコミも生じる。しかし哲学一般として、「直接の」主張がなくとも、思考の方法を論ずるだけでも思想として成立する。近代以降は、とくにそういう傾向が強くなっている。
プラグマティズムという主張の中身は、「考え方」に焦点を合わせている、と考えてもいい。

「考え」

考えとは、まさに「考え」であり、思いつき、思考、思想、主張、アイデア、メッセージあるいは信念である。

「意義」

考えの、「意味」というより、「意義」を問題にするということ。
つまり、その考えが「もたらすもの」を問うている。その考えを提示することによって、なにが起きるのか、何を為そうとするのか、を問うている。
自分は哲学を学んでいて、ある哲学に対して「内容はわかった。が、だから自分にどうしろというのか」という疑問が起きることがままある。哲学全体に対してもそうかもしれない。
そこがどうもはっきりしなくてモヤモヤするのだが、プラグマティズムでは、まさにそれが大切だ、と言っている。

「行為」

考えは、考えで終わるのではなく、行為に結びつくことを前提にしている。「プラグマ」とは「行為」という意味である。
一つの考えが別の考えを生み、その考えがまた別の考えを生む、そういう連鎖の果てになんらかの行為がないとしたら、それはなんと空しい考えであることか。
もちろんこれは「意義」を問うこととも連携している。
また「行為」を問うとは、つまり「行為の結果」を問うているということである。そしてその結果は、何でもいいわけではなく、「有用」であり「実用」であることが含意されている。

プラグマティズムの批判対象

ある思想について、それがほかのどういう思想に対しての批判なのかを見る視点は大切だ。思考であれなんであれ、すべての「新しい」ものは、前提となる批判対象や否定対象を持っている。「今まではこうだったが、そうではなく、こうである」という文型になる。
哲学を学んでいて一番やっかいなのは、(((テーゼ ← アンチテーゼ) ← アンチテーゼ) ← アンチテーゼ)… と延々と続くことである(「弁証法」ヘーゲル)。だからいつも最初のギリシア哲学に行き着いてしまう。個別の思想を単体で語ることはむずかしい。

プラグマティズムは、何に対するアンチテーゼなのかを2つ挙げる。

反形而上学

近代以降の多くの哲学がそうであるように、プラグマティズムも形而上学を否定する。
そもそも「形而上学」がむずかしいわけだが、自分はこうとらえている。
すべての具体的な事象の後ろには、事象(形)を超えた(上)何か上位のレイヤーがある。そしてその「上位レイヤー」の具体物としてそれぞれの具体的事象がある、というのが「形而上学」という考え方である。つまりいろいろなものは存在する以前にその「本質」は決まっている、とする。プラトンはそのレイヤーを「イデア」と呼んだ。
「性善説/性悪説」ということばが、わかりやすい。そもそも人の性(さが)は、善いもの/悪いものである、だから信頼せよ/疑え、というわけだ。
反形而上学はそういうレイヤーを否定する。まずいろいろなものはまず存在していて、それら全体から人は「本質」を見出している。サルトルは「実存は本質に先立つ」と表現した。

しかし、人は形而上学的に物事を捉えたい生き物である、というのもひとつの事実ではある。宗教的考え方やスピリチュアルな指向も、そういうことの現れと自分は考えている。このこともいずれは考えてみたいと思う。

反デカルト主義

デカルトは近代以降の哲学を切り拓いた唯一無二の偉大な哲学者だが、それゆえに多くの後継から挑まれる存在でもある。
単純にくくらせてもらうと、デカルトの主張は「1. 合理的にものごとを考えよう」「2. 合理的に考えれば一つの真理にたどり着ける」ということかと思う。1. の「合理的に考えよう」が、デカルト以前の思考への巨大なアンチテーゼだった。つまりそれだけ「それ以前」が合理的でなかったということだが、デカルトは「合理」というものを再提起した、と言ってもいいと思うし、ここに突っかかる人はいない。
そこには理性に対する絶大な信頼があるわけだが、2. の「一つの真理」に「たどり着ける」ということを後継が咎めた。
「一つの真理」というのが形而上学っぽいわけだが、「真理」とは何であるのか、何であるとするのか、は哲学上のもっとも根本的な問題である。そのうえで大胆にいうとプラグマティズムでは、真理とは有用性のある考えであり、有用性には多くの軸があるので、真理も多元的なものとなる、ということになる。

デザインとの関係

もちろん、自分はプラグマティズムを学んでデザインをはじめたわけではない。
デザインのなかでいろいろ考えることがあり、プラグマティズムを読んでみて、たくさんの繋がりを感じている。またそこからもどって新たにデザインを眺めると、見えなかったことが見える感じもする。
プラグマティズムから学ぶとすると、デザインはどうしなければならないのか、デザインはどうしてはいけないのか。

有用性あるいはよいこと

有用性を平たくいえば「便利さ」とか「役立つこと」とかで、なんとなく深みやありがたみがうすい感じだ。けれど「役立つ」とは「本当は」どういうことなのかと突き詰めて考えるとなかなかむずかしい。
自分にとって「よいこと」であれば、なんでもそれなりに自分の役に立つともいえる。自分にとって「よくないこと」すら、何かを学ばせてくれると考えれば役には立つ。
また自分にとってよいことは、ほかの人にとってよいこととはかぎらない。わたしはほかの人にもよいことだけを自分のよいこととする、というのもあってよい。そのようにいろいろなことを言い出したら、何がよいことかなんて考えても無意味になる、そうとも思える。
けれど自分は、デザインは新しい「よいこと」を考えだして提案する仕事だと思っている。いろいろと考えてはきたが、そうとしか考えられない。
素敵でカワイイ色や形をさぐり出すことも、その一部であるし、新しいサービスを考えることも使いやすさを考えることも、その一部である。逆に何が対象であれ、その対象のよいことの新しいあり方を考えるのであれば、その行為を「デザイン」として括れると思う。
もちろん、いわゆる「デザイナー」だけが、それをする、とはいっていない。それは誰がやってもいいし、実際政治家や工学者、設計者、企画者もそれをしている。が、言えばデザインはそれだけを専門にしているし、デザインからそれを取り上げたら、何も残らないのではないか。

人が「よいこと」を決める〈感覚〉を「価値感」と呼ぶ。これは〈価値〉にかんする話しだ。

よいことは多元的

「美しい」ことは、エスタブリッシュな「よいこと」であると思うが、「美(び)」というと、なんとなく形而上学的な匂いがしてくる。なにか形を超えた超越的な観念として「美」は扱われがちだ。「美」という観念自体は、普遍的であるのかもしれないし、普遍的ではないかもしれない。それを自分は語りえない(ウィトゲンシュタイン)。しかし少なくとも、美の指す内容は時代とともに所とともに変わるのであり、普遍的ではない。
美しさがそうであるように、よいことも時や所で変わる。つまりよいことは多元的であってたった一つの「よいこと」に収束するわけではない。
デザインもたくさんのあるであろう「よいこと」の一つを探している。

まだまだいろいろあったような気がする。
今はひとまずここまで。

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