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■手のひらサイズの哲学

2025.10.17 10:00

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ネットで本を買うことが多くなったし、そもそも外出が減っているので、書店へ出向くことはあまり多くない。なので、たまに書店によると、ついあれもこれもと買いたくなる猛烈な誘惑に駆られる。手に取った本をパラパラめくると、すべてが自分を呼んでいる気がする。本屋は危険だ。ベストセラーが平積みされている、それも罠である。当たり外れ、自分への向き不向きもあろうが、やはりベストセラーはそれなりに力がある。

自分が気になる本は近年、言葉関係の本が多い。直接「言葉」の本でなくとも、自分の中では言葉に繋がっている。デザインの本はほとんど買わないし見もしない。違和感ばかり感じて、意地悪く反発したくなってしまうから。

いいなと思う本、これは読んでみたい、というのはもちろん「感覚」の問題なのだけれど、どういう基準で読みたいのか? と自問してみる。

一つ思いついた選択基準は、AIには書けそうもない本、というもの。図的/視覚的であり、網羅的なもの、個人的なもの、発想が飛んでいる、結末が不合理である、などなど。AIの語る内容は、新しい知識についてのものであれなんであれ、答えに納得感がある。というか、納得感がありすぎる。ああそっちに来たかとか、ああそれね、なるほどね、と「しか」思えない。よくも悪くも、AIの意見は多数の人の考えや意見を「正しく」集約したものである。いや「集約」したものでしかない。
けれど自分としては、作者その人たった一人だけの呼吸を感じるようなものが読みたいのだ。ある意味、自分は「人」を読んでいるのであって、「内容」を読んでいるのではない。もちろん場合にはよるけど。
その上で「その人」という結末が、想像していなかった新たな視点を気づかせてくれることが重要なんだけど。

ということで、ほとんど前情報なしで4冊ほど購入。
永井玲衣「水中の哲学者たち」から読み始める。すごくいい。こういう文章(内容)が自分は書きたかったのだなと思う。うれしくなり少し悔しい。その言葉は哲学的であり詩的である。そう、そうなんだよ。
著者は哲学者で「哲学対話」の実践をたくさんしていて、題材はそこから取られているエッセイ集。とくに小学生などの子どもグループとの対話がおもしろい。中学生や高校生も。
どの視点もまったく「常識的」でない。言葉遣いは丁寧だが、内容は「常識だからよい/正しい」ということの正反対に位置すること。あえていうと「無常識」「前常識」の視点というか。
そういう日常の哲学を筆者は「手のひらサイズの哲学」と呼んでいる。

この本を読んでいると、いろいろ悩んでもしかたない、自分も自分を許そうというゆるく、やさしく、穏やかな気持ちになれる。

常識に縛られていません?

と、ここまで書いて、エスノメソドロジーの本を読んだ時も「常識を疑え」だったことに気づく。きっと自分はそれがしたいんだね。

自分的にいうとすべて、〈感覚〉を〈思考〉している、ということになるのだけど。

251014