Concept Field Top Menu Activity
Weblog

Izumi Tanaka

Shunji Ogawa

Noriyuki Watanabe

Yusuke Goto

Yuta Yokoyama

メンバーブログWeblog
Search
AIとデザイン、アート

2023.2.12 18:45

  • <
  • >

AIに創造性があるか、という問いがある。
それに対して、機械に創造性のある仕事ができるわけがない、と頭ごなしに否定する人はけっこういる。いるにはいるが、それについてのあまり合理的な説明は聞いたことがない。
自分は、AIというか「機械」、人がその手で作り出したもの、人工物が創造的たりうることはありうると思う。

まず創造的とはどういうことか、というと、自分は次のように捉えたい。

創造性:新しい有効性を備えたことを提示する能力

それは何かを造る/生み出すことであるわけだが、その条件は「新しいこと」かつ「有効性があること」だろうと思う。その二つを備えた何かを生み出すことができれば、それを創造的と呼んで差し支えない。
片方を満たすだけでは足りない。
そういうものを、機械/AIが生み出すことはできる、そう思う。

機械/AIは創造的である。

その延長で、AIがデザインをすることもできる。
もう実際に活用され始めているし、今後多くの(ほとんどの)デザインが、AIによって行われるようになるだろうと自分は予測する。

創造的な仕事は、AIに職を奪われない、というのは直感的判断でありすぎる。つまりまちがいだ。
自分はむしろ、AIが解決しようとしていることは「創造」というはたらきであり、まさに、AIはデザインしようとしているのだと思う。

AIにデザインすることはできるし、それ以上に、AIはデザインをこそしようとしている。

アート/芸術についてはどうか。
もしもアートを「成果物/作品」としてみるなら、AIはピカソ風な作品もモナリザ的な作品もすでに簡単に無限に生み出せる。「誰か風」ではなくその人なりのオリジナリティが必要ということであれば、また一貫性のある架空の芸術家のオリジナリティを作り出すことも問題なくできるだろう

しかし、アートとは「人のする行為」としてみるべきものだと自分は思う。
アートは、創造的な「作品」の中にではなく、人の為す創造的な「行為」の中にある。AIが、いくら「それ風な作品」を生み出してもアートという行為には届かない。
ひるがえっていうと、デザインは作品を生み出す行為ではなく、機能する「作品」の中にその本質がある。人でも機械でも、その生み出された作品/道具が役にたつなら、それでデザインは成立する。

AIはデザインするが、AIにアートはできない。

それが自分の出した結論である。

230212