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シンボルグラウンディング

2023.2.20 18:49

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1. シンボルとパターン

AI分野のなかで、シンボル・グラウンディングは大きな問題だったが、AIがシンボルアプローチからパターンアプローチに代わってきてあまり話題にならなくなった。

自分の理解では、機械で扱うには「現実」はあまりにゴチャゴチャしているので扱いきれないが、シンボルという形に抽出すれば扱えそうだということで、抽出したシンボルを操作することに焦点を合わせたのが、AIのシンボルアプローチである。しかし得られた結果を現実に着地し直そうとすると、結局そこにまた問題が出てしまった。それがシンボルグラウンディングという問題。

それに対して、現実の事象(図像にしろ音にしろ文章にしろ)をパターンとしてとらえ、その類似性を測ることの延長で、さまざまな役に立ちそうな結果を得ることができてしまった。それが今隆盛を極めているディープラーニングなどのパターンアプローチである。大まかにいえば、ここではシンボルは扱わないので、グラウンディングの問題も出てこない、とそういうことでいいだろうか。

シンボルアプローチ:

現実/現象/パターン → シンボライズ → 処理 → シンボル → パターン/現象/現実

パターンアプローチ:

現実/現象/パターン → 処理 → パターン/現象/現実


2. 哲学でのシンボルグラウンディング

哲学はどちらかというと、言葉を中心とするシンボルアプローチであると思うが、やはり哲学にもシンボルグラウンディングの問題が存在するような気がする。哲学しているのは人間なので、機械ほどグラウンディングに困ることはないとも思えるが。

自分が考える、哲学のシンボルグラウンディング問題とはこうだ。
太古からの哲学者や哲学グループのいろいろな主張は、大きく抽象化されてはいるが、人と世界についての根元的な理解や解釈についての、新しい提示である。だから人が抱く「すべての問題」に関係している「はず」だ。
けれど一般の人には、哲学は意味ありげだが、実際とところ内容はよくわからない学問であり、なんだか宙に浮いた象牙の塔の中の話のように見える。哲学のなかで議論されたことは、現実の問題に着地させなければ、学問として意味がない、と自分は思う。

AIのグラウンディング問題は原理的なものだが、哲学のグラウンディング問題は、きびしく言うとたんなる手抜きではないか?
このグラウンディングは哲学者の仕事か、それとも各専門分野ごとにすべきか? おそらく双方でともに取りかかるべきなんだろう。
自分としては、自分の立っているデザインという分野のなかに、なんとか哲学の価値ある成果を着地させたいと思って、いろいろ読んだりしているわけだが(使命感からではなく、楽しいからね)、やはり基本は各分野でおこなうしかないのだろう。
けれど、哲学サイドからは、そういう事情をできるだけ汲んでもっと使いやすいかたちにかみ砕いて欲しいとも思う。例示も必要だ。もちろんそうしようとしているのだろうけど、やはり壁は高い。

3. パターンアプローチとしてのデザイン

ところで、哲学のシンボルアプローチに対しては、デザインはパターンアプローチによって世界を見ようとしている、そういう対比が成り立つ気がする。

デザインについては、言葉をいくら重ねて「説明」してもしかたない、とにかく何かを創り出す必要がある。

哲学:シンボルアプローチ:

現実(世界/人/事象) → 抽象化/シンボライズ → 考察 → 主義主張/シンボル → 現実

デザイン:パターンアプローチ:

現実(世界/人/事象) → 観察/経験/表現:パターン → デザイン? → パターン/現象/現実


(自分は、言葉を重ねることによってデザインを説明しようとしているわけで、この作文自体は「デザイン」ではない。)

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