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■善良さ

2025.7.16 21:30

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いろいろとむずかしい世の中ではある。
戦争も終わらないしAIも追いかけてくる。誰も彼もが「正しい」を追いかけているのにもかかわらず、結局一言でいえば、何が「正しい」のかわかっていない。絶対に「正しい」なんて、ごくごくかぎられた条件でしかいえない。

何が正しいと誰も言えないとしたら、いったいどうしたらいいんだろう?
バカボンのパパみたいに誰かに「これでいいのだ!」と言って欲しい。

デザインだって、長く考えてわかってきたこともあるけれど、それはほんの表面的なことでいちばん肝心のどういう方向でやっていけばいいのかわからなくて途方に暮れる。

こういう言葉がどこまで通じることかおぼつかないけど、「善良さ」「善良であること」が、けっきょくは一番大切なことなんじゃないかなと、最近つくづく思ったりする。
そう感じるのは年齢のせいでもあろうけど、そういうことがいえる、そう発言してもおかしくない年齢にやっと達した、ともいえる。

英語を調べると、善良:goodness、善良な:good、人のよい:good-natured と、日本語の「善良」のようなニュアンスはない。
日本語の辞書でも、善良:正直で素直なこと、品質などがよいこと、そのさま とやはりそっけない。

自分は「善良さ」をニュアンスとしていろいろと感じているわけだけど、その「感じ」にどれくらい一般性があるのか自分ではわからない。

自分のニュアンスとしての「善良さ」には、正直や素直に加えて、お人好し、少々たよりない、穏やか、静かに生きている、日本童話のおじいさん/おばあさん(いいほう)で、反対は、ずるい、ずる賢い、やり手、計算高い、日本童話のおじいさん/おばあさん(悪いほう)、お花畑などなど、まだあるかな?

「善良である」とは、ちょっとたよりなく、弱々しい、自信がない感じ、おどおどして、間の抜けた そういった感じさえある。現代ではどちらかというと、否定的に見られる性質かもしれない。「そんなこと言ってるから馬鹿を見るのだ」って。

でもこの弱々しいことは重要なポイントだと思うのだ。だって人には弱いところはたしかにあるんだから。

そこには自分自身を、小さき者とおくことが顕れている。
私たちは、まだまだ知るべき事が多くあるのに今知っていることは少ない。
やるべきこと/やったほうがいいことあるのにほとんどできていない、そういった少しダメな自己認識。自分は自然主義者であり、自分自身をつぶさに見ることを信条としたいと思っているので、こちらを選びたい。

感覚的ではあるけど、この「善良さ」はけっきょく、どこへいっても、最終的にはしっかりと通用するものであるような気が、今は、している。
少なくともそう考えることは、自分の心に安寧をもたらす。

近々選挙もあるけど、そういう眼で人や政党を選びたいと思う。
そしてデザインにおける「善良さ」ということを、今後は考えていきたいとも思う。

250713